もずのわくわく劇場日記 No.51


2002年 8月15日 (水) 「もずさんの浅草散策 編」


目が覚めて窓を開けると、夏にしては清々しい風が吹いていた・・・

私はその時思った「原点へ戻ろう ! 」まぁ、そんな大それた事でもなかったのだが、元々もずさんの
HOME の劇場は浅草ロック座だった。ロックっ子だったのだ。じゃぁ、今はどこが HOME なんだ ? 
と聞かれると・・・ はて ? と考え込んでしまうが、差し詰めリオ劇場とでも答えておくか (爆♪)

さて、BBS で見事なまでに明日は川崎行くよ♪ と言っておきながら、気まぐれな私は唐突に浅草へ
行きたくなった。今日から夏休みなんだ。そうだ ! 夏だ ! 夏と言えばやっぱ「浅草」でしょーっ♪

毎年恒例のロック座、会長プロデュース公演だよね。私のストリップ人生も、会長公演から総て始ま
ったんだし・・・ それに、私は「浅草」って言う町が好きだ。何て言うか、住人が「浅草」って言
う町を愛し、大衆芸能を愛し、町に誇りを持っているって言うスピリットが、通りを歩いていると、
ひしひしと伝わって来るからだ。最近はどうなのか分らないが、よく裏通りを散策しながら歩いてい
ると、ひなびた・・・(失礼 !) 民家から、三味線の音色が風に乗って聞こえたりした。

なんと風流な・・・♪
せせこましくて、呼吸困難になってしまいそうな時流に飲まれていると、そんな「風流」にめぐり合
った時、「風流」は「涼風」となり、額ににじんだ汗を心地よく乾かしてくれた。「浅草」だから、
何処からとも無く聞こえる三味の音が、心に響くのよ。「浅草」だから人が集まり、大衆の文化が花
開いたのよ。そう言う土壌を「浅草」の町に住む人達が、大事に育てて来たのよ。
「浅草」に吹く風にそう言うものを感じるから「浅草」って町が好きなのよ。古いかね ? (苦笑)

雷門 営団地下鉄・銀座線浅草駅の階段を上がって行くと、ほんのわず
 かばかり歩いて交番を見つけると、その裏手が「雷門」である。
 歩道は人力車のターミナルにもなっているので、写真を撮ったり
 する観光客で、ガヤガヤとにぎわしい。私は何度か唐突に言われ
 た事がある。
 
 「人力車乗ってみませんか ? 」 (爆♪)

 これが「浅草」だ ! (笑)

台湾人・中国人・アメリカ人・インド人・関西人・東北人・・・これは違うか、様々な国籍の人達が
入り乱れて、雷門〜仲見世〜浅草寺と、にぎわうのはどんな人達にも開かれたこの場所、今もって
浅草とは、大衆の集うメッカと言えるだろう。

ポスター 今日の私は、観光客の人ごみで歩きづらい仲見世の通りを歩かずに、仲見世
 のお店の裏の通りをのんびりと歩く。すると、何とも生活観のあるポスターを
 見つけたので、「これって最高だね♪」とカメラに収めた。
 だって、いまどき「星飛雄馬」だよぉ〜 ! それも大リーグボール養成ギブス
 多分、子供会って書いてあるからぁ、父母の方が描いたんだろうね。世代的に
 私の世代の父母の人・・・ (爆♪)

 それにしても、「雷中会館前に集合 !」って書いてあるだけで、何をやるのか
まったく書いてない。(爆♪) 絵からして、野球をやるのではないかと言う、一つの仮説が立つ。 だがしかし、本当はみんなで集まって、バネをぎーぎー言わせながら「父ちゃん ! ダメだ、オレには投げられないよ !」 なんて・・すると、星一徹おやじは言う。「こんなもの着けたくらいで投げられんなどと ! そんな事で巨人の星がつかめるか ! 」と、茶ぶ台をひっくり返す ! その光景を柱の影から、姉のあき子が涙を流しながら見て一言。

「・・・飛雄馬 !」

でも本当に何をやるために集まれ ! と言っているのだろう ? 地元住民にしか分らない不思議 (笑)

伝法院通り 仲見世の裏通りを抜け、「伝法院通り」を左巻きすると、右手側には
 横に何軒も連なった小さな店が並んでいる。どんな店かと言うと、
 ダボシャツとか、寅さんの見たいな皮のスーツケースを売ってる店に
 腕時計やサイフとか売ってる店、日本兵の衣装や、かつらを売ってる
 店など。何かここでしか買えそうにない品物ばかりで面白い。

 対して左側のお店は、きちんとした建物の小奇麗な商店が並ぶ。
喫茶店あり、食べ物屋さんあり、履物屋さんあり、雑貨屋さんあり。
中々におもしろい。

そんな通りを更に進んで行くと、二股に道が分かれる。右へ行けばロック座へ行く。だが今日は気ま
まに左の道へ寄り道してみる。日差しは強くポロシャツにも汗が染み込んで来たが、久しぶりに浅草
の町を散策しているので、心ウキウキとして苦にならない。

しばらく行くと、何か人が大勢ごった返している場所があった。一体何の騒ぎなんだ ? 私は野次馬
根性丸出しにして、足早に騒ぎの渦目指して突き進んだ。

名店 たどり着いて見ると、美味しいシュウマイ・肉まんで評判の店、
 「セキネ」であった。この店はテレビや雑誌などでよく紹介されて
 いるので、名前だけは私も知っていた。ここかぁ〜ここにあったの
 かぁ〜♪ 

 あぁ、みんなこの店のシュウマイや肉まんを買うために、行列して
 いるのかと思って、人をかき分けてさらに潜入していくと、今日はそれだけではなかった。どうやらテレビの取材が来ているようだった。どれどれ・・・


インタヴュー「セキネ」の前でお店のおばちゃんに肉まんの話を色々質問して
いる人がいる。タレントさんのようである。んっ ? 聞いた事の
ある声だ。誰だぁ〜 ? 見た事あるぞぉ〜 ! 

あぁ、この人は・・・田中美佐子の旦那じゃん ! 名前は・・・
出て来ない。なんっつったけなぁ〜・・・思い出せない。

ほれ、良く日本テレビで、叶姉妹のものまねとかやってる・・・

何て言ったっけなぁ〜・・・

まぁいいか。 (爆♪)

何となくうれしい♪


インタヴュー2
 しばらく取材の様子を見て楽しむ。
 ←は、故東八郎さんの息子さんだよね。名前は知らないが、そう言う
 ことは知ってるんだ。(爆♪)

 思い出した ! 「TAKE 2」って言うんだよね。

 


 そんなこんなで、ずっと彼らの仕事振りを拝見し、どうやら終わった
 ようなので、再び散策を始める。


 浅草公会堂ふらふらとさまようように歩きながら、
 出たところは浅草公会堂。


ここは色々な催しものが良く行われていて、まだ中へは入った事は無い
のだがいつの日にか入ってやろうと言う野望を抱いている。 (爆♪)
 
人力車 そんな浅草公会堂を、裏から表の方へと
 回り込むと、そこには色々な「浅草」に
 まつわる芸人さん達の手形が歩道に埋め
 込まれている。

 もちろん芸人さん達だけでは無い。有名な俳優・女優さん達の手形も
 あるのだが、ここに手形が残されていなくとも、ここ「浅草」には、世間的・一般的には無名であっても、その時代、その時代に大衆の心をときめかせ、「浅草」で笑って、泣いて人知れず消えて行った役者達がたくさんいるのだ。おそらくそれは今現在も変わりないだろう。

手形 落語・漫才・コント・浪曲・大衆演劇・ストリップ・・・
 いやいやそればかりではない。そのような大衆文化を、もっと底から
 支えた功労者は数限りなくいるはずだ。

 生業として飲食店を続けた老夫婦、金欠役者を支えた舞台衣装の店主
 など、「浅草」に住んで根っこから「浅草」を支えた草の根のような
 大衆もいるのだ。

 私は「役者」と言うものは、演劇人だけの言葉ではないと思っている
 大衆そのものこそが、総て「役者」なのだと思うのだ。
 町の文化・生活・そこを訪れる人々・・・そのどれ一つの要素が欠けても大衆文化の舞台の幕は開かないのだ。
 
つまり、それぞれの「役者」がそろって初めて大衆文化の幕が開き、それぞれの「役」を演じる事によって「町」と言う舞台を作り上げている事に他ならない。
だからここに、その総ての「役者」たちの手形が敷き詰められて当然なのだ。もちろんここにかつて
数多くあったストリップ劇場の、歴代の花形踊り子達の手形が残されててもいい。だがそれは、まっ
たく存在しない。なぜだ ? 

大衆と言うものは、奥ゆかしい。功績をひけらかさないものなのだ。それゆえ「大衆」なのだ。
有名・無名が問題なのではなくて、いかにその町で生きてどう暮らしていたのか。それゆえ輝かしい
手形のプレートは、個々の胸の中にあって、人知れず光っているのだ。

浅草公会堂の歩道に埋め込まれた数々の手形のプレートは、そんな大衆の文化を象徴・代表として有
名な「役者」達の物が埋め込まれていると私は思っている。


浅草演芸ホール ひとしきり盛り上がった私は、方向修正してブロード「通り」
 へと戻った。そして出た所が「浅草演芸ホール」前。
 
 ここは一度入場した事がある。すごく混み合っていて、通路に
 座り込んで落語を聞いていた。すると、やにわに誰かから肩を
 なでられ、振り返るとそこには「おかま」さんが立っていた。
 「ごめんなさ〜い♪ あたし前に行きたいの。どいて下さる」
 生まれて初めて本物の「おかま」さんを見た ! ニューハーフじゃないよ、「おかま」さん。 
(爆♪)

この「おかま」さん落語好きなのかな ? そうではないようで、落語家の軽妙な話術を勉強してい
るみたいだ。世の中人それぞれに、頑張っているのだなぁ〜 と変に感動した事があったっけ。

フランス座 演芸ホールと同じ建物にある「浅草フランス座」は、今はやはり
 浅草フランス座・演芸ホール「東洋館」となっているが、正面の
 ウインドウなどに、ストリップ劇場時代の面影を残している。
 
 ここもいつか入ってやろうと思いつつ、ロック座へ通っているうち
 に演芸ホールになってしまった。 (苦笑)

元フランス座の社長で、故・佐山氏の遺志を引き継いだ ? 息子さんは、横浜に「新生・野毛劇場」を開館したが、時代の波に逆らう事はままならず、残念ながら一年程で閉館となり、大衆文化の小さな灯火は、また一つ消えてしまった。

大勝館 ロック座へ歩いて行く道すがら、いつも工事の塀で覆われていた
 旧・国際会館 ? 国際劇場 ? 良く知らないが、そこがいつの間に
 か「大勝館」としてオープンしていた。
 
 ここは、大衆演劇の劇場の様である。ちょっとでか過ぎないか ?
 こんな不景気な時代に客入りは ? 維持して行けるのだろうか ?
 もっとも、写真の半分から向こうは、食堂になっている。
 
 まぁ、折角開館したからには、頑張って営業を続けて行って欲しいものである・・・
 

吉野家・・・か ? (爆♪) 「大勝館」の前を通り過ぎて行くと、吉野家・・・(笑) がある。
 ここまで来れば、あとは何処へ行くか・・・想像するに難くない。
 
 最後にロック座へ行ったのは、2000年 9月 3日(日)。実に2年ぶりか。
 この時、先日SNA で引退された「加納藺」さんがデヴューしたのであっ
 た。時の流れは極めて早いものだ。その時にロック座の階段を駆け上が
 って行く私と、階段を駆け下りて来る「モモコ」さんが鉢合わせして、
 お互いに「あぶねーっ !」と顔を見合わせると言う事件も起きたんだった。(爆♪) 
 では、ご要望にお答えして、ロック座へ入ってみよう。

次回更新へ続く・・・



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