もずのわくわく劇場日記 No.151-4


2006年 1月 9日 道後ミュージック

渡辺理緒・新作「アイリッシュ・フェアリー」ステージレポ・後編


さぁ! いよいよ今回の渡辺理緒作品「アイリッシュ・フェアリー」のレポートも大詰め!
ここまでどことなく、漠然としていた作品のテーマが明らかになる時がやって来た。
果たして渡辺理緒が胸に想い描くテーマとは一体何なのか、レポーター・もずのイメージしたテーマが、どれほど創作舞踊家・渡辺理緒のステージに迫る事が出来るのか!




聖なる歌声、妖精たちの賛美歌の合唱と言う方が、的を得ているかもしれない。
心静かに聖なる夜を向かえ、妖精たちは何に祈りを捧げるのか・・・
おごそかな雰囲気の広がるステージに、渡辺理緒がカップキャンドルを両手に持って出て来た。
やはりこれから妖精たちのミサが行われるようである。

赤い照明の光に、包み込まれるようなシルエットをステージに映し出す渡辺理緒。
そもそも「妖精」なるものは何かと言うと、自然界に存在する物に宿る精霊とでも言おうか。
おとぎ話や伝説の中に登場するのだが、ではそれは架空の存在なのか? いや、それは違う。

今言ったように、「自然界の物に宿る精霊」であるから、実存する姿・形が無いだけだ。
「魂」や「エネルギー」「意思」と呼べるものであり、自分に物質的な固体としての体と言うものが無いから、木や森や、水や川や海、石や山や大地のような、みずからの意思を持たず、物体としてのみ存在する物の固体に宿り、現実的な作用を起こす訳だ。

簡単に言うと「ヤドカリ」みたいなもんよ。(笑)

なに? 妖精は小人みたいに小さくて、背中に羽根がはえてるのが一般的なスタイルだって?
はははっ♪ 甘いな、甘いよ。 元々そのような人間みたいな姿の妖精ってのは、でかかったんだよ。
普通の人と同じくらいか、巨人みたいな、でかい奴もいたんだ。でもね、人間が知恵を持つようになり、科学なんて事を言い出すと、自然崇拝と言うか、「恐れ」と言うものを感じなくなる。すべて科学の力で解明できるなんて、おごり高ぶった物の考え方をするようになった。

で、古代から近代へかけて人間は恐れを知らなくなる。つまり元々妖精イコール自然なのだから、近代・現代の妖精が小さく描かれるようになったのは、人々の心の中に自然への恐れ、自然への崇敬の念が薄れて行ったために、人間の頭の中のイメージがしぼみ、妖精大きさが、だんだん小さくなってしまった訳だね。

つまり「妖精」は、人々の自然に対する意識を比喩していると言える。だってそうでしょ? 怖いものって大体は、「でかい」ってイメージがあるでしょ? 「得体が知れない」とか。怪物、怪獣、キングコングとか、でかくて得体が知れない物って、でかく描かれる。なのに「妖精」はいつの間にか、小さく描かれるようになった。人間がいかに自然と言うものに対して、おごり高ぶっているのか理解できるよね。

さて、話をステージに戻そう。

アイリッシュの森の中で、妖精たちの聖なるミサが始まった。妖精たちは両手にキャンドルの明かりを灯したガラスのカップを持ち、声高らかに賛美歌を合唱している。すると! そんな妖精たちの輪の中から、一人の妖精が手に持ったキャンドルのカップを床に置き、飛び出した!

何が起きたのか、驚いた妖精たちの歌声が止まる。

じゃん! ジャン! ジャ〜 ジャン! BGM は、これまでのおごそかなミサの雰囲気を破壊するように変化する。ドンタカ! ドンタカ! 激しく打ち出される小太鼓、何が起きた! 何が起こった! と言う様なニュアンスのコーラスが、その狼狽振りを示し、妖精たちが口々に言い合っている様子を伝えてくる。そりゃぁ〜もう大騒ぎ!

渡辺理緒扮する妖精は、黒く小さな羽根を背中に逆立て、ステージの中央にスク!っと立ちはだかる。二の腕からはラッパのようなスソ広がりの、大きくシースルーになった袖が羽衣のごとくたなびき、それと同様の生地でマフラーのように首の周りをひと巻きして、腰まで垂れ下がる長い丈のクロス。そして黒エナメルの編み上げのロングブーツと言うスタイル。

穏やかな妖精から、突如豹変した魂の荒振る黒い妖精。

アイリッシュの森の厳しい戒律に反発した妖精が、反乱を起こす。アイリッシュの森に伝統的に伝わる戒律は、自然界と妖精たちが共存するためにあるものであり、それを厳しく守る事が妖精たち自身を守る事になり、さらにアイリッシュの森を守る事につながる。

だがしかし、それを不自由と感じ、反発したのが妖精・渡辺理緒であった。
昼の世界と夜の世界とでは、支配者が異なるのだ。日の出から日没までは白い妖精、日暮れから夜明けまでは、闇を支配する黒い妖精、そしてその昼と夜を統括しているのが、一番最初に登場したアイリッシュ・グリーンの美しいドレスを身にまとった、ダグダとボアーン(ネフタンの妻)の間に生まれた子、ボイン河の畔にある妖精の丘の女王、「愛と若さと美の女神・オイングス」なのである。
(覚えてる? 事前勉強会レポに出て来たよね)

争いを好まない昼間の世界をつかさどる白い妖精の中にあって、一人戒律に反逆した妖精は、激しい勢いとヴァイオレンスで、荒振る魂にまかせて妖精たちのミサを混乱させた。

白い羽根のようなソデを振り乱し、足を蹴り上げ、だれかれなしにからみ、攻撃的な態度で暴れまわる。手の着けられない激しさで、騒ぎを拡大して行く。周囲の妖精たちからの制止を振り切り、巨大なトルネードが地上のあらゆる物を空高く巻き上げていくありさまである。

しかし、どんな竜巻でもひとしきり吹き荒れた後は、力尽き消滅するものである。
荒振る魂を呼び覚まし、暴れていた妖精にも突然その時はやって来た。狂気の魔力によって反逆に及んだ妖精は、突如として力を失い、ヒザから崩れ落ちるようにして、大地に伏せ込んだ。暴れるだけ暴れて、ふと我に返ったのか、頭を片手でかかえ、座り込んで苦悩する。

「自分は何て言う事を・・・ 大変な事をしでかしてしまった!」

事の重大さに恐れおののき、ヘタリと座り込みながら背中をのけぞらせ、あとずさりをするように後ろへズルズルと手を着いて引き下がる。BGMはクラッシックギターの繊細なアルペジオで、物悲しげに鳴っている。

すると自己嫌悪からか、そのまま後ろ手に立ち上がり、再び腕を振り上げまた狂おしく踊り出すのだった。この荒振る魂の踊りを踊る渡辺理緒は、これまでどの作品でも見せた事の無いドラマチックなダンスを展開している。それもそのはず、渡辺理緒が「どうしてもこの曲で踊りたかった」と語る、彼女のお気に入りの曲とダンス。道理で気合が込められてると思ったよ。みなさま、この場面も絶対おススメの場面なので、もしこれからこのショーを見る機会がありましたら、渡辺理緒の踊りに特に注目して見てあげて下さいね。

踊り終えた渡辺理緒は、ステージの中央でまたしてもワナワナと震えながら、背中を見せてその場へとへたり込む。すると? おや、これは前の場面で聞いたな?

「アイリッシュの森の奥深くから、渡辺理緒に呼びかけるような笛の音。その歌うような笛の音に
はっ! とアイリッシュの森を振り返る渡辺理緒。」

語りかけるような、落ち着いた不思議なこの笛の音のような声、一体この声の主は誰なんだ・・・
そう、この不思議な声の主こそ、昼と夜の世界を統括している、一番最初に登場したアイリッシュ・グリーンの美しいドレスを身にまとった、ダグダとボアーン(ネフタンの妻)の間に生まれた子、ボイン河の畔にある妖精の丘の女王、「愛と若さと美の女神・オイングス」だったのである。

一人の心乱した妖精の姿、その騒ぎを見て心痛めた「愛と若さと美の女神・オイングス」は、怒りではなく偉大なる「愛」を以って、その妖精・渡辺理緒へと手を差し伸べたのだった。「愛と若さと美の女神・オイングス」は荒振る悪しき魂と、過ちに気がついて自己嫌悪に陥った妖精を救うべく、やさしい光を放つ二つのキャンドル・カップを改めて妖精・渡辺理緒へ授けたのである。

妖精・渡辺理緒は黒く背中に逆立った羽根を捨て去り、白い衣を身にまとっている。そしてその左右の手にはキャンドル・カップを持っていた。ゆらゆらとほのかにそのキャンドルの炎は揺らぎながら、夜の闇の中で希望の灯りを灯している。

なぜ右手と左手にそれぞれキャンドル・カップを持っているのか? ちゃんとこれには意味があるのだ。右手のキャンドルは太陽を意味し、左手のキャンドルは月を意味する。つまり昼と夜、この世の自然の摂理。地球上で生きとし生けるものは、すべてこの昼と夜のサイクルの中で生きている。誰もそのサイクルから逃れる事は出来ないのだ。

「愛と若さと美の女神・オイングス」は・・・

「汝、みずからを知り、この世に生かされる事を知りたもうや。」

と問いかけ、その意味を暗示しているのである。
この世は太陽の輝くばかりでも、満ち欠けする月の灯りばかりでも、誰も生きてはいけないのだ。
自然の摂理を乱し、身勝手に生の営みをまっとうする事は、ありえないのだと暗示する。

そして、キャンドルに灯る炎には、けがれを滅し、悪しきをはらい清めて浄化する作用があるのである。歴史的にみても、戦争の炎によってすべてを焼き尽くし、そこからまた新しい道が開かれると言う史実が、幾度と無く繰り返されている事を振り返れば、それはゆるぎない事実である。
草や木を炎で焼き、その灰が生命の養分となって焼畑農業が行われるのだ。

「愛と若さと美の女神・オイングス」は、妖精・渡辺理緒にキャンドル・カップを授ける事により、荒振る魂を焼き清め、自然界の摂理とはいかなるものかと言う事を啓示したのだった。

妖精・渡辺理緒はいくつかの照明が放たれるステージの上で、手に持った二つのキャンドル・カップの距離を広げたり、つぼめたりを繰り返しながら、盆へと歩いて行く。そして盆の中央に立つと、清々しい気持ちでくるりと一回りすると、微笑して水平に方の高さで腕を広げ、そのまま背中を大きく反らし、ブリッジしながらトロ〜リと温められたバターが溶けていくように、盆に倒れ込んで行くのだった。

ここからが私が一番注目する、渡辺理緒のベットショーとなる。
見る人により注目する場面は異なるかも知れないが、この作品で見せる渡辺理緒のベット演技は、過去のどの作品よりも、比較にならないくらい素晴らしいものであると、私は思っている。この作品のベットはマジですごいぞ! 凝りに凝りまくっている。細かい動き、演出、構成、しかもダイナミックな技と、実に巧妙と言うか渡辺理緒の確かな技術と、センスの良さに裏打ちされた、圧巻のベットショーなのだ。ではいくぞ!

太陽と月とを表す二つのキャンドル・カップを右と左、それぞれの手に持った渡辺理緒は、回る盆の上で立ち、カップを天に向けて捧げ奉る。そして静かに背中をのけぞらせて行く。じわぁ〜 っとした滑らかな動きで、深く、どこまでも深く地にもぐるかのように、渡辺理緒の背中は湾曲し、長い髪はサラリと肩から滑り落ち、床の上に黒い髪の川を描いている。

ついに渡辺理緒の頭が床に着く。そして床につけた頭はそのまま先へと進み、徐々に背中が伸びて行き、盆に完全にはべり、高く掲げていたキャンドル・カップへと、お客の視線を誘う。二つの灯りをともしたキャンドル・カップは、丸みを帯びて光る、まるで宇宙空間に漂う惑星のように見える。

直接的なスポットライトの無い、ステージスクリーン前からの青白い照明だけが、間接照明として投げかけられ、その中で渡辺理緒は両手を伸ばして持つ、キャンドル・カップを意味深げに動かし、笛の音だけが静かに鳴っていると言う場面だ。

これは空間演出とでも呼んだらいいのか、おごそかと言えばおごそかであり、怪しいと言えば怪しいとも思える不思議な時のない空間と思える。創作舞踊家・渡辺理緒の精神世界の表現なのかも知れない。私には混沌とした宇宙空間で、様々なものが細胞分裂し、やがてそれらが、新しい生命の誕生へと進んで行くのだとイメージした。

「愛と若さと美の女神・オイングス」の祈りの声、笛の音が鳴り止むと、一瞬無音のブラックホールが大きく口を開けたかと思えるほど、静かな状態の中で渡辺理緒の気配だけがする、と言う感覚。
「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」と言う快川禅師の言葉を借りて言うと、強く心に念じる事があるならば、たとえ炎の燃え盛る中に身を投じても、常に自分は冷静であり続け、見苦しくもだえ苦しむような事は何一つ無い。まさに「悟り」の境地か。

荒振る魂に身をゆだね、アイリッシュの森の戒律の持つ意味を不服とし、見苦しい反逆劇を引き起こした一人の妖精・渡辺理緒。今この闇に支配されたアイリッシュの森の中で、「愛と若さと美の女神・オイングス」から授けられたキャンドルの炎によって、妖精・渡辺理緒の荒振る魂は清められ、生まれ変わろうとしていた。

場内にハープのアルペジオが甘くリフレインする。それにヴァイオリンのフレーズが上書きされるように鳴り響く。アイルランドの森に立ち込める夜霧の中から、何者かが現れる予感と胸騒ぎ。その気配はしだいにこちらへと・・・

盆の上で仰向けにじっと横たわっている妖精・渡辺理緒が背中をのけぞらせるようにして、ムクリ! と動き出す。そして上半身を完全に起こすと、キャンドル・カップを宙に泳がせながら、その腕を胸の前でクロスさせる。ひとしきり、夢から目覚めたようなしぐさでうつむき、首をぐるりと回し、キャンドル・カップをもて遊ぶようにした後、両腕を広げて背筋を伸ばす。さらにそのまま横になって片ヒザを立てて、寝そべる。

ドンタカ! ドンタカ! 激しく打ち出される小太鼓、何が起きた! 何が起こった!BGMが急に太鼓の打ち鳴らす激しいリズムのものに変わり、横に寝そべっていた渡辺理緒は、右手のキャンドル・カップを高く持ち上げた。すると、一気に照明が渡辺理緒に浴びせかけられたかと思うと、BGMの曲調がまた変わり、タ〜タタ〜、タタタ、タ〜タッタタ〜♪ と沈んでいた太陽が、朝日としてアイリッシュの森をまばゆい光で照らすように鳴り渡る。夜明けだ!

渡辺理緒は右足を空に向け、高く突き上げる! 暗く混沌としていたステージの様子が、明るく一気に広がる。それはあたかも渓谷の激流を下るボートが、うねり逆巻く川の難所を抜け出し、視界の利く果てしなく広い海へと出たような安堵と安らぎの情景のようである。

渡辺理緒は伸び伸びと手足を広げ、その喜びを体で表現する。
ここまでを読んで、賢明なる読者のみなさんは、もう気がついただろうか。
そう、BGMはすべてショーのオープニングの曲である。
こんな構成のベットショーって、見た事ありますか? ないでしょ?
でも渡辺理緒って言う人は、こんな事もやっちゃう人なんですよ。

オープニングからアイリッシュダンスのファーストステージで使った曲。でも、それで盆の上で座ったままの状態で、腕を大きく広げて衣装のソデの部分を華麗にさばく、あのアイリッシュ・ダンスで全身を自由に使って踊る「シャンノース」スタイルの上半身だけの動きを踊るのだ。

しかもそれだけではない・・・

BGMのバイオリンが素早く、たたみかけるようなフレーズを弾くそのリズムに合わせて、ヒザと腕を床に着けて背中を右に! 左に! とよじり、体をのけぞらせたり丸めたりしながら、ヒザ立ちになって自由の利く両腕を、やわらかく、しかもすばやく、しなやかに振り回すと言う、とんでもないダンス!

いや、いや、それだけではないぞ、ヒザ立ちのまま盆の床に置かれたキャンドル・カップを拾い上げ、それを持って腕を広げ、前にうなだれるように体をまるめた所から、ゆっくりと体を起こして行くさまは、まるで十字架に架けられたイエス・キリストが、一人民衆の罪を背負い、祈りを捧げると言うスペクタクルなカットも挿入されているかのようで、こ、これはあまりにもすごすぎる! とあっけに取られていると、体を起こした所からさらに! ヒザ立ちになったままで背中をのけぞらせ、ブ、ブリッジ?

しかも両手にはキャンドル・カップを持っているので、手はまったく床に着く事無く、体だけで腹筋と腿の筋肉、そしてふくらはぎの筋肉を酷使する無謀とも言える大技! ブリッジした体をあおり立てる
ようにして、何度もぐいぐいと繰り返し、さらに踊る? 渡辺理緒の体が、ギシギシ! と悲鳴を上げて
きしむ音が聞こえて来るようだ。

もうこれは正気の沙汰じゃないな、何かに憑かれてるとしか言いようが無い・・・
そこまでするか! って感じだ。

嵐を呼ぶようなブリッジから立ち上がった渡辺理緒は、時計回りに一回り、黒いエナメルのブーツを履いた足を軽く前後に開き、一歩踏み込んだスタイルで、両腕を前へと突き出す。その腕の先にはキャンドル・カップ、それをまた水平に広げたかと思うと、右手のカップを高々と突き上げる!

ポーズを崩してカップを床に降ろすと、両手を広げ、背後から照らされる照明の中にシルエットを浮かび上がらせる。そして左腕! 右腕! と交互に振り上げ、狂おしいほどに体を揺さぶり、衣装の袖をまるで大空へと羽ばたく火の鳥の翼ように羽ばたかせながら、クルクルと何度も回りつつ、体にからませるように着ていた衣装を片手で素早くほどくと、それを両手に広げてステージ上に鮮やかなビジュアルを魅せる!

音楽はその音量を最高潮に高め、クライマックスの近い事を暗示させる。クルクルと回りながら踊る渡辺理緒と、それをあおりたてる音楽とが、完全にステージの上で融合し、シンクロしたと思った瞬間! 渡辺理緒は広げていた衣装をハラリ! と床に落とし、スパッ! っと切れ味良く静止して、両腕を客席へ向けて差し出し、ステージはフィニッシュ! となった。

・・・絶句。

ブラボー! もうこれは素晴らしい作品、そしてステージであるとしか言いようが無い。はぁ・・・ ため息しか出ないよ。ファーストステージのアイリッシュダンスは、話題をさらうかも知れないが、私はそれにも増してベットからのセカンドステージが、最高だと思った。ベットなのにスピーディーで、ドラマチックな展開のダンス、これはもう絶品ですね。衣装のソデを羽根のようにうまくさばき、すごくきれいで鮮やかなビジュアルを創り上げる渡辺理緒。良くみてると、腕から下がる衣装のソデを振り回しているシーンは、どのようにソデが宙を舞っているのかって、その動きをちゃんと計算して渡辺理緒は踊ってるのよ。

体を回転させるシーンでもそう。振り上げている右腕の方のソデの動きと、後ろへ下げている左腕の方のソデが、上下に二段構えになって、きれいに見えるように、後ろへ回している左腕の方のソデの動きを、踊りながら渡辺理緒は微調整してたりするんだよ? その神経の細やかさと言ったら、もう完全にストリップのステージのレベルを超えてると思うよ。参りました。いや、ホントに・・・

たった20分ほどのステージに、こんなに色々なエッセンスを詰め込んだ渡辺理緒の新作「アイリッシュ・フェアリー」は、これからも益々進化して行く作品だと思いますので、残り少なくなっている渡辺理緒さんのステージを、是非とも劇場へ足を運び、あなたのその目に、胸に焼き付けて欲しいと思います。

それと蛇足ですが、この作品のレポートは私が多忙なために、一つのステージであるのにもかかわらず、分割して書いたので、最初から全部一気に読み切りたいと言う、変な人(笑) がいましたら、前編・中編・後編とまとめて一気に読めるページを特別編集しましたので、自分が変な人(笑) だと思う人は、そちらの方をもう一度、最初からお楽しみ下さい。(爆♪)

HTML版「特別編集版:アイリッシュ・フェアリーレポート」

PDF版「特別編集版:アイリッシュ・フェアリーレポート」


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